【映画評】映画館が劇場だと思い出せてくれた、ヒュージャックマンの感動作、グレイテスト・ショーマン

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最近、映画については更新していなかった。
今年はタブレットで見るよりも、劇場で見る機会が多くて、すでに6本の映画をみた。
その中でも、グレイテスト・ショーマンは書かずにはいられない。

先日、見たグレイテスト・ショーーマンは、映画館が劇場であることを久々に感じさせてくれた。
音響や大きなスクリーンからというよりも、むしろ観客の空気感だ。
それもあいまって、非常に胸に迫る感動のある傑作だった。

公開後1か月以上も過ぎ、平日というのにほぼ満員である。
リピーターと思われる女性組も多くみられた。
始まる前から舞台の幕間というか、オープニング待ちの空気感で、はじまった瞬間に観客が引き込まれ始めたのが伝わってきた。
もちろん、それは、オープニングから世界観とストーリーに引き込む見事な演出があるからだ。
そこからは、本当にあっという間だ。
朝の連続テレビ小説のような起伏と感動を持ちながら進んでいく。

ストーリーは単純だ。
エピソード同氏が複雑に絡み合うような伏線や立体的な構成は見られない。
物事の因果関係は明確で、一つのエピソードの顛末が、また次のエピソードの顛末となって展開されていく。

キャラクターの心情に複雑な陰影や意外性を感じさせるところも、あまりない。
キャラクターの輪郭はくっきりしている。

まるで、童話だ。
シンプルな教訓とメッセージ性、人間愛や家族愛。
心理描写の浅さは指摘されるかもしれない。しかし、童話に陰影のある複雑な心理描写が必要だろか?
シンプルで入りやすいストーリーだから、クオリティの高い曲、歌唱とダンスを邪魔しない。
歌とダンスに魅せられて、感動的だ。
何度も見たくなる。

脚本の拙さを指摘する評論が多いというが、私はこれでいいのではないかと思う。
この童話のようなシンプルさが作品を愛すべきものにして、テンポの良さを生み、曲を際立て、ミュージカルの強さになっている。
容易に入りこみやすい世界と楽観主義すぎるような展開は、逆に、込み入ったり、複雑すぎたり、微細なところを競いあったり、情報量が多すぎたりする日々の中にいる人々に、これでいいんだという肯定感と勇気、そして感動を与えたと思う。

この映画には、酷評と絶賛がある。
恐らく酷評されているポイントが、絶賛を生んでいるポイントだろう。
評論家が絶賛する作品もあれば、オーディエンスが絶賛する作品もある。
映画史的には、また、芸術的には、また、興行的には、、、といろんな評価基準があるだろうし、それはそれぞれに意味があるだろう。

私もつい評論家をまねたような目線で見てしまうことがある。
好きでマニアックになって語るのとは正反対の姿勢で、細かいことを評論してしまう。
自分にとって、面白かったのか、感動したのか、新しい何かを感じたのか、
そういったほかの誰にとってでもない価値を感じるべきなのに。
この作品は、多くの観客にダイレクトに語り掛け、そして心をつかんだと思う。

評論家の評価ではなく、賞の受賞ではなく、そういう後押しがなく、観客を劇場に呼んでいる作品だ。
自分の目よりも人の評価で映画を見ていた

たくさんのフリークスも出演しているが、ほとんどセリフもなく、主要キャラ以外ではこれといったスポットはあたらない。
アンサンブルの一人として、高らかに歌い、ダンスし、輝かしくパフォーマンスする。
余計な言葉を与えないこと。
それこそが、彼らのすばらしさを伝える強いメッセージに思えた。

フィナーレは、舞台のラストのように、感動をステージと観客が共有したような空気に満ちていた。

映画館で鑑賞するとき、空いている時間を狙うことが多い。
映画を鑑賞するとき、ミニシアター系のドラマよりも、視覚効果がふんだんに使われた作品を映画館で見ようとする。
音響装置と大画面を楽しむために。

映画館は、多くの観客ともに作品を共有・共感する装置としての劇場であることも、感動ともに教えてくれた。
もう一度劇場で見たい、





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