発売された”ルビンの壺が割れた 宿野かほる”を読む。 その罪深さについて考える

product_1.jpgproduct_1.jpgproduct_1.jpgルビンの壺が割れたが発売された。
  

オンライン無料版を読んだときの感想を以前に書きました。
 ※SNSで話題沸騰!?ルビンの壺が割れた/宿野かほる 読了! その謎について考える。
 http://www.fiveminbeforeafter.com/article/452131949.html


その中で、

ワザと下手に文章を書いているのではないか?
それは、無料公開版は、劇中作で地の文が追加され、SNSのやり取りと本文がルビンの壺のような本体と背景のような関係になっているのではないか?
SNSのなりすましなど別の仕掛けが加筆された完全版として発売され、この広告の仕方そのものもトリックではないか?

と考えた。

期待をたかめて発売をかなり楽しみに待った。
そして、本屋の店頭で実物を見た。

新書のような薄さ。
HPでも見ていた自費出版のような深みのない安っぽい装丁。
ことさらな帯。

人を食ったような佇まいで平積みされている中から、1冊を手に取った。

私の期待は、見事に裏切られた。
トリック(といえるかどうかもかなり微妙だが)はそのままである。
確かに加筆されている。
加筆が必要だったとも思わないし、加筆されてこの作品の魅力が増したとは思えない。
どちらかというと、より下品になったという感じだ。

これも前回書いたが、この作品の拍子抜けの読後感と下品さ、もったいぶっているだけで深みのない浅さは
歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』に酷似している、と思えてならない。

 ※歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』が持つ究極の仕掛けについて考える 
 http://www.fiveminbeforeafter.com/article/447145528.html

ただ、には時代考証やトピックの整合性に、作品を発表する際の誠実さはあったように思う。
“ああ、ダマされた”とか、“謎がわかってすっきり”、“主人公に共感!”というような読後の爽快感は、
私にはなかっただけだ。

ルビンの壺が割れたは、文体、人物像、世界観に深みを感じない。いや、かなり浅く感じる。
ただ、そこには安さと浅さという統一感はある。
文体もくどく、魅力がない。

もし文体がとても洗練されており、人物像が粗削りだとすればパロディのようになる。
文豪の文体を模した作品によくみられる手法である。
しかしこの作品は、文体にも洗練さがない。

徹底的な浅さとそれに合う安い文体、読みやすさ、それがこの作品を商品にしていると思う。
この作品を傑作なり、世紀の問題作のように売り出す広告手法にも、読者を馬鹿にしたような浅さを感じる。

これも前回のエントリーで書いたが、世紀の問題作のコピーなのに賞金が5000円で、
やはりその程度の作品なのではないだろうか

最後の拍子抜け感を多くの読者が味わうのだが、その拍子抜けが作品からだけもたらせているのではなく、あおった広告が加担しているところが、とても罪深い。
この手の広告手法にはもう乗りたくないと心から感じる。


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